時は金ではない

「時は金なり」とはよくいってくれたものだが、この言葉には、いささか不信感をいだいたほうがよさそうだ。

「時間資源を有効に使って、ワークとライフのバランスをとってください」この言葉も一見そのとうりと、うなずいてしまいそうになるが。不幸に導く大きな危険性を孕んでいる。

モモという物語の中で「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が奪われていく、そうすると、皆の心から余裕が消えてしまうのだ…。しかし、物語ではモモが見事に解決に導いてくれるのだが、現実世界では盗まれっぱなしなのである。
時間資源(時は金なり)という発想はおかしい。本来、時は私に与えられた財産である。無駄に使おうと有意義に使おうと勝手であるはずなのだが…。時間とお金の価値を同一視したところから人類は大いなるあやまちを犯し、そのあやまちに気がつくどころかどんどんとその罠にはまってしまったのである。

本来、時とお金は同等であるべきでは無い、それは、人間は生産のみに生きる動物ではないことと、人間にとっての価値の全てがお金に換算できるというのは大きな間違いである。

仕事の効率を考えてより生産性を上げるために時間の使い方を定義することは、一見グッドアイデアにみえるかもしれない、でも、結果的にマニュアル化されたロボットのような人材を量産することと手抜きされたモノを生み出す元凶になる。これはよく考えれば解ることである。「効率化された労働から生み出された余裕のある時間でもっと創造的で有意義な仕事をすべきだ」というロジックは一部のスパーマンにしか通用しない。目の前にある仕事をいかに丁寧に有意義に取り組むかを考えたほうが幸せになれるハズである。人が本来もとめているものは、人に優しいことだけではない。美しく生きることは、そういうことではないのだ…。

そこのキミ。時間は人々に平等に与えられた貴重なものである。それは人生において何物にも代えがたい独立した要素であると考えるべきだ、お金に換算する意外の価値を見いだしてくれたまえ!たとえキミがスパーマンであったとしてもだ。

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