ノイズ・北の旅

「オレは、気が狂っているのではないだろうか?」
ふと頭をよぎることが多くなったように感じます。

am4:30。朝靄に包まれている湖畔をクルマでゆっくりと走りました。昨日までのケガレを清浄するかのごとく、窓を全開にして冷たい空気をクルマの中にみたしてゆきます。これから始める「イカレた饗宴」に空気とは裏腹に心拍数と興奮はたかまってゆきます、水辺に近づける場所を探してゆっくりゆっくり、バックで入ってエンジンを止めました。途端にあたりは静寂に包まれました。

クルマからおり、少しジメっとした腐葉土の大地を踏みしめ、水にそっと靴を濡らしてみました。風もなく、湖面はガラスのようにぴったりと固まっています、鳥たちもピピッと鳴き始めています、太陽もだいぶ昇り朝靄も消えてゆきました。

“外在性は、作曲の中でしか消え去らない。音楽家が、まずすべての社会的機能、すべての見世物、すべての価値蓄積の外で、自分自身のために演奏する時にしか。音楽が、供儀の、演奏の、そして反復のコードから自らを解き放ち、作品の創造であると同時にそのコードの創造であるという、それ自身以外に目的をもたぬ活動としてあらわれる時にしか、外在性は消え去らない。(中略)
音楽は、その出現、表明、そしてその諸結果を分析するために、新たな理論と戦略を必要とする長い戦いの前哨戦にすぎない。音楽は、芸術家たちの、貨幣による彼らの孤立化への拒否によって告知された危機のなかで、人間性における、行動から始まる進化を告知する足跡でありつづける。”
ジャック・アタリ『ノイズ』1985年に記された一文です。

「気が狂っているオレ」には、そんな一文がやけに、精神の小石が詰まった胆嚢のような部分にしみ込んでしまうのです。自分の中で音という存在は、切っても切れない部分に位置しています。その抽象性、身体や精神に直結した構造は芸術や作品をつくるうえでの土台になっているのです。ですから何かをつくる時に常にそばに寄り添っているモノが音そのものなのです。しかし、その音に、蔓延してきている腐敗臭を微妙に感じてしまった現実からの逃走。それが今回の旅の目的だったのかもしれません。

 

session…1。しばらく、湖畔を散策してから、太陽光パネルをクルマに立てかけて電源のスイッチを入れました。「太陽光発電音響装置-グリングリ1号」のボリュームを少しづつ上げてゆくとジーというノイズがでてきました。ありきたりですが、用意してきたピアノのサンプリング音をループして流しつずけてみました。風景が少しずつ変容してゆくのを感じながら、ほんの少しずつ音質を変えたり、フィルターをかけたり、クルマのまわりに球体のバリアが大きくなったり小さくなったり、そんな感覚に包まれていると、予想どうり鳥たちも歌い出しました。以前、同じ場所でフィールドレコーディングの経験があったので予想的中だったわけです。ここら辺りはカラスがいないのです。私が住んでいるところでは、朝起きるとさわやかな小鳥のさえずりをかき消す「カーッカーッ」とゴミを漁るかのごとく鳴き声を聴くのですがそれがないのです。別にカラスを悪者にしているわけではありません…ョ、ただ、セッション相手としてここらの鳥たちはスゴイという実績があったわけです。鳥たちのさえずりには独特の間があります、なにか鳥どうしが会話しているような、その間に音を流しこんでいくのです。こちらが出す音に反応して、がんばって鳴きだします。「ザマアみろ!狂っているオレの幸福感など誰にも理解できるはずなどありゃしない!」もうピアノの音などと可愛いものではなく、「ビーっ」とか「ピー」とか激しいノイズを湖面に向けてぶつけています。鳥たちはある時間を過ぎるとどっかに行ってしまう。これも昔学んだこと…。やがてクライマックスがきました。

 

session…2。林道です。森に囲まれたおいしいパンさんが開店するのはam10:00。それまでにはまだ結構時間がありました。クルマを地図にはない国道横の林道に進めました。だいぶ登ってゆくと遠くに残雪がのこった山々が見えました。エンジンを止めると「ホーッホケキョ。。。」ああ北の地は遅い春なのです。早速、トランクを開いて音響装置をセッティングしました。早朝から気合いが入ってしまったので、ゆるめの音からスタートしてみました。どうもコチラの音につられてという感じの鳴き方でもないので、「ポンポンッ」と軽めの音を大音量で流していました。すると目の前を軽ワゴン車が一台止まりました。窓を開けて地元のオバちゃんらしき人物が流している大音量にかぶって「この辺りにゃ山菜はねーべや!」と大声で声をかけてきました。「イヤイヤ!山菜採りじゃないんで!!」と返しますと疑いもないように林道の奥にクルマは消えて行きました…。太陽光パネルを広げて変な機械をいじっていて変な音があたり一面に響いていることは気づかなかったのでしょうか?おそらくヨソ者に地元の山菜を採られては大変というコトがオバちゃんの頭を支配していた模様。ということで調子にのって変な音全開で時が過ぎていきました。しかし、割と近い藪の中から「ギャーギャー」という変な鳴き声が…!なんだろう???またしばらくするとまた「ギャーギャーギャー」と…。なんか寝た子を起こしてしまいましたか?姿は見えませんが明らかに迷惑そうな鳴き声。「わかったわかった…もう終わりにしますよ。」というわけで焼きたてのベーグルを目指して山を下りました。

 

session…3。遅い朝飯をすませ。なんかサッパリしたいなー。ということで温泉を目指すことにしました。どんどんと山を登って行くとまだ残雪がたっぷりと残っていました。白樺の芽吹きも始まったばかりで、これから一日一日、木々の色が変わってゆくのでしょう…。北の地は冬が長い分、季節のうつろいがもの凄い勢いで感じられるのです。特に雪解けから春のワラワラと生き物たちが動き出すさまは、人間どものテキトーな生き方を凌駕する圧倒的なものがあるのです。そんな中。誰もいない温泉につかり大の字になって雪山をボーっとしばし眺めていました。温泉を出てせっかくなので雪遊びでもしていこうと駐車場のわきの残雪をめざしてゆくとザーっと雪解け水が流れているではありませんか!!せっかくなのでこのオーガニックなホワイトノイズを録音して持ち帰ろうと思いたち録音機器をセッティングしてヘッドフォンをさし大音量で聴いていますとシンセでつくる音とは別もので独特の抑揚が気持ちがよい…。ついつい気持ちよくなって駐車場のわきで大の字で寝っ転がっていると…。「ブーン」というクルマの音が…。あわてて立ち上がり平静をよそおい…。目の前をクルマがUターンしてゆくのでした…。

まだまだセッションは繰り返されていくのですが…。

とにかく「オノレが一塊のノイズである。」このコトは、とてつもない収穫なのであります。音という空気振動を通してコウモリのようにオノレの居場所を確認するかのごとくなのであります。その時に大自然は眼前にアリ、オノレもそこにアル。狡知などは微塵もない純粋体験。なにを言っているのか解らなくなってまいりますが…。つまり生存していることへの悦楽、興奮。うーんますます解らなくなってきますね…。

気狂いの戯言ということで…。では…。

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