さて、何故こんな作業を日々やってんだろう?と感じている方もいらっしゃるとおもいますが、今回のプロジェクトのとりあえずの最終目標は、屋外で太陽光を使って音を出すというものです。いつものようにタイコを叩くとかではダメなのかという質問がきそうですが、それではダメなのです。活動自体に祈りを織り込むことはプリミティブな打楽器の演奏に通じるのですが、今回は、現状への反発であり、未来への可能性を探るものなのです。
そもそも電気には夢やキラキラした美しさが含まれているのではないか?ならばそれを表現する方法はなにかないのか?ということから始まっています。エレキギターを鳴らしっぱなしでアンプの電源を切ると、電気が抜けていく一瞬になんともいえない音がします。想像するにそんな電気を見ることはできませんが、透明な水のようなものが細い金属の上を流れているような感じがします。
電気を水にたとえると、ダムをつくったり、うねうねの水路に流すことでリズムや波形ができてそれが音となり音楽になってゆくのです。そんな電気を体感できるのがアナログ回路を使ったシンセサイザーだとピンときました。少し前からデジタルで音をつくるのに飽きてきたこともあり、アナログシンセの知識を身につけていたこともきっかけになりました。今から半世紀前に実用化された技術ですが、いまだにその暖かな音色や響きやノイズの魅力は生き続けています。
しかし 他の分野とも共通していますが、高価で使い勝手のわるいモノたちはどんどん排除され一部のマニアと呼ばれる人たちでその文化は支えられています、ネットの広がりで世界中の少数派で楽しみを共有化しています。日本でも60年代の実験音楽時代やテクノ創世記には世界的な評価をうけていたようですが今では見向きもされないようです、おそらく全てやりつくしてしまったのでしょう。
今、私がやろうとしているのは、実験や挑戦ではなく青空の下でタイコやギターをかき鳴らす感覚で、もっと環境や自然と対比する音を存在させること、サウンドインスタレーションに近いものを目指しています。そのうちに近くの公園でひっそりと楽しみたいと考えております。そんな日を目指して持ち運び用のケースをつくってみました…。