そこのキミ。たまには本を読んで応援されてみてはどうだろうか?
少々ウザイかもしれないが…。

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“ただ受け取るだけなら、奴隷でもできる”

“美は物質ではない。美は模倣できない。美は見る者の心に生まれた快感の感覚である。美しい物があるわけではない。だが、すべての物は、それを見て快感を起こすような、感受性と想像力にあふれた心がやってくるのを待っている。”

“この世の自由な人びとは、さまざまな方法で自分にとっての美を発見し、人に伝えようとする。”

”現代人は奇妙な文明に生きている。現代人の理性と魂は恐怖や人工的なものばかりでいっぱいになっており、そのせいで美に気づかないことさえある。世界が抱えているあらゆる厄災の元凶はこの恐怖であり、真実とじかに向きあえる視野の欠乏である。”

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今、私たちに求められていることは、『自分が表現したいモノをつくることではなく、皆に必要とされるものをつくること。』となってしまった。それは本来、つくり手として批判されるべきことであるのだが、それがまかり通っている。

全ての人々は、モノに対して消費者であり、批評家でもあり、無意識に自分に従わせようとする。そして民主的に多くの人が“いいね”というものがよしとされ、どうでもよいものは淘汰されていゆく。少数派は切り捨てられ、埋もれている美意識が大切に育てられることは無くなった。それは、消費には関係のないことだからだ…。

元々『どうしてもつくりたいモノ』を持っている人など世の中で微々たるものだ。モノはすでにあって、新たにつくり出す必要性など感じることも少ない、『つくらされているモノ』と『つくりたかったモノ』の判断すらできないほど、システム化された消費のなかでアートやデザインは終焉を向かえているのだ。このような状況下で「人間にとってモノづくりは、生命活動と直結している重要なことなのだ。」などと叫ぶことは、お笑いぐさでる。感受性や想像力といったものが軽視され、合理性や利便性を追い求めてきたことのツケに気づいている人は、ごくわずかであろう。

”自分が本当は何が好きなのかを知るのは簡単ではない。このことについて、自分を騙しながら一生を送ってしまう人も大勢いる。たいていの人は、生きながら死んでいる・・・” 80年前のこの言葉は重い。自分を見つめる力は退化の一途をたどるばかりである。もちろん、自分を見つめられない人が他者に向かうことなどありえない。もはや、生きながら死んだ人間に囲まれた荒んだ社会が進行中なのだ。

今、このような本が出版されるということは、絶望に沈む「つくりたいモノ」を持つ人への励ましと受け取れる。つくり手の孤独な戦いは、ますます過酷になってきていることを自覚せずにはいられない。